【副読本】第Ⅲ章 記号論からみる芸術―ことばとの比較を通して―



 芸術はしばしば言語と比較される。このことについて「記号論(semiology)」の観点からその類似点とは何なのか少しだけ紹介する。

 

1.記号論とは

 人間が何かを他者に伝えようと、表現しようとするとき、それらを形のあるものに乗せて他者にも知覚できるようにする。「形のあるもの」とは例えばことばであったり、標識であったりもしくは芸術作品であったりする。このような他者に伝達される情報、すなわち意味とそれを媒介する形の関係性や機能について考えるのが記号論である。

 

2.対象と属性

 現実世界に存在する何かを言葉や絵画にして表現するとき、それらは実際のものごとの完璧な再現にはならない。「ゴッホ」という1つの対象について考えてみても、この対象を表現する形式としては「画家」や「男性」、「人間」などいくらでも考えられる。現実世界にある指示対象はどれも様々な観点における「属性」を持っており、どの観点からその対象を捉えるかによって形式と意味は11に対応しない。

 これは絵画においても同様に考えることができる。ある対象を表現する方法は1通りでなく、描かれているものがどのような属性としてそこに描かれているのかの解釈もまた1通りではない。例えば、絵画に描かれている「女性」は「人間」として描かれている場合もあれば「母性」のような抽象的な概念を表現するための記号として描かれている場合も考えられるし、逆に直接女性を描かなくてもスカートなどを描くことでその絵に「女性」という属性を付与することができる。

 このような対象とそれが持つ属性の間にはプロトタイプがはたらいている場合が多く、特に上で例として挙げたジェンダーに関する属性は文化などの様々な要因と結び付けられている。

 

3.推論と解釈

 上記で述べたように、与えられた形式とそこから導き出される意味が1対1で対応しているとは限らない。ほぼ1対1で対応している場合は、逆の手順を踏んで形式を意味に還元すればよいだけでこれはそういった意味では「解読」ともいえる。では形式と意味が1対1の対応をとっていないとき、そのとき形式を与えられた側の人間はどのようにしてその形式が指し示す意味を導き出すのか。

 発信者が受信者に伝達するためにある形式に意味を乗せるとき、そこには「コード」がある程度はたらいている。一方で受信者が形式から紐づけられた意味を読み解こうとするとき、受信者もまた自身のコードを用いているのである。それは発信者の持つコードと同じであるとは限らず、それによって本来発信者が伝達しようとした意味とは異なってしまう可能性も当然ある。このときそれは発信者の想定していたものとは異なる新たな意味を受信者が生み出したということであり、このような受信者自身のコードによる「解釈」において受信者はある意味で同時に発信者であるともいえる。

 もし発信者の真の意図を考えようとするのであれば、そのためには発信者のコードについて考えることが重要である。コードには発信者の経験や周囲の時代や環境など発信の裏に見えるあらゆる背景が影響している。絵画における発信であれば、作者の他作品やタイトルなどからもそのヒントを得ることができる。

 

4.表現活動における性差

 では言語や芸術のような表現行為の中に性別による差は生じるのだろうか。この問題を記号論の表現過程から考える場合、差が生じる要因は次の2つ(解釈まで含めると3つ)が考えられる。

①そもそもの表現したい内容が異なる

②意味を形に変換するコードが異なる

)解釈をする際に用いるコードが異なる

 日本語ではよく性別による1人称の違いが取り上げられる。これは例えば男性が「俺」や「僕」といった1人称を使いがちであるのに対して、女性が自身のことを「私」と呼ぶことが多いというようなことである。この差は上の要因の中では②に分類されるであろう。もし一個人が場面に応じて1人称を使い分けているのであれば、それは自身のどういった属性を表現するのかによって変化するものであるので①による差と考えることができるかもしれない。

 では芸術作品についてはどうだろうか。少なくとも②における性別の差は特別考えられなさそうである。性別によって教育環境に差があった時代では②も要因の1つとして考えられたかもしれない。したがって、もし芸術作品に性別による差が存在すると考えるのであれば、それは①に差が生じているということになる。しかしこのことについて何かしらの断定をすることは容易ではない。なぜなら①は②よりも個人差が大きく、①の差が性別によるものか個人によるものかの判断は非常に曖昧だからである。

 

 ここでは絵画について記号論の観点から言語との比較を用いて言及した。今回述べたような観点はみなさんの絵画の見え方を少しでも広げることはできただろうか。


S. S.


【参考文献】

池上嘉彦 1984. 『記号論への招待』岩波書店.

グッドマン, N. , 戸澤義夫・松永伸司訳 2017. 『芸術の言語』慶應義塾大学出版会.

カメロン, D. , 中村桃子訳 1990. 『フェミニズムと言語理論』頸草書房.

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