【コラム】文化の総合芸術、住宅

 住宅とは、それがあった地域の文化的環境を総合的に最も濃く反映している最高の芸術品であるということをご存じですか? 確かに有名な作家の制作した絵画や工芸品も魅力的です。しかし住宅はより自分に身近な体験として学びを得ることができる存在であるということを、川崎市日本民家園を舞台として紹介していきます!

 川崎市立日本民家園は、急速に消滅しつつある古民家を永く将来に残すことを目的に、昭和42年に開園した古民家の野外博物館です。ここでは民家を始めとして水車小屋や歌舞伎舞台など幅広い建物の保存・公開を行っており、今まで生活の発展に応じて加えられてきた改造の経緯について調査しながら、建築当初の姿を目指して復元しています。館内には建物に関する基本的な知識を紹介する本館展示室があり、外に出ると宿場・信越の村・関東の村・東北の村・神奈川の村・その他と分類された25件の建物を見ることができます。

日本民家園本館(正門)

 さて、住宅が芸術作品であるという件についてですが、住宅にはそれが建っている地域の文化・習慣、あるいは住んでいる人の生活様式などに合わせて常に変化していくという特性があります。

 身近で分かりやすい例を出すと、間取りの変化が挙げられます。昔の農民の家だと四部屋くらいの和室が襖や障子で仕切られてそれぞれ広間や納戸など役割を与えられていました。これはそもそも紙や木のような簡単に手に入るものだけで作っていたことに加えて、親族や地域間の交流が今より活発だったことから、大勢が集まるときは仕切りを外して大部屋として利用することもあったことが理由の一つとして考えられます。対して現在は各部屋はしっかりと壁で仕切られ、木が直接見えるのではなくクロスを貼ってデザインを自由に決めることができるようになっています。このことからまずは海外の住宅文化が流入し定着したことがわかり、昔よりもプライバシーを重視する価値観に変化したことや家族外との関わりが希薄になったことも読み取ることができます。

 また同時代の中でも、例えば立地によって相違点が生まれることもあります。山地に家を建てる場合、山を削り石垣を築いて造成しなければならないため広い空間を確保することが難しく、細長く横に広がった宅地になることが多いです。一方海辺に家を建てる場合、漁業を生業としていることが多いことから海に隣接した場所を選ぶことが多いです。しかし海と接する場所は有限であるため、他の地域よりもさらに住宅同士が密接している集落となる傾向があります。

 本博物館では公開している住宅ごとにその指定区分・旧所在地・建物区分・構造形式・建築年代などの基本情報、そこに住んでいた人の生業や地域の環境などがパネルで説明されています。入ってみてパッと浮かんだ印象について、そのパネルで答え合わせをしてみましょう。住宅という誰しも体験したことのある住空間を扱っていることから、より主体的に考えて楽しむことができますよ!

 ここで1つ例を出してみます。これは元々富山県南砺市桂にあった旧山田家住宅です。

旧山田家住宅の外観

旧山田家住宅の内観

 見た通り一般的な合掌造りですが、右の写真をよく見ると床が異様に高いことに気が付くでしょう。他の地域の農家は段はあってもそこまで高くはないことはここまで建物を巡ってきて気が付いています。現代で床が高いといったら床下を収納として利用する場合だろうか、じゃあこの場合どうしてこんなに高いんだろう、と疑問が浮かびました。

 結論から言うと、この床下は火薬の原料となる塩硝を作るための空間だと考えられています。寒い地域であったこの地域では、藩に納めるものは生物よりも加工品の方が好都合でした。そこで塩硝を作ることにしたのですが、幕府に隠れて軍事機密として加賀藩が命じたものであったため、堂々と作ることはできません。そうした結果作業場として選ばれたのが床下だったのです。

 このように住宅に対して新しい発見をしていくと、自分と違う文化の生活を理解できると同時に、今自分が暮らしている生活についての理解も深まります。多くの家を相対化しながら、是非鑑賞を楽しんでみて下さい!

A. Y.

参考情報

川崎市立日本民家園公式ホームページ

https://www.nihonminkaen.jp/2023111日閲覧)

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