さて、住宅が芸術作品であるという件についてですが、住宅にはそれが建っている地域の文化・習慣、あるいは住んでいる人の生活様式などに合わせて常に変化していくという特性があります。
身近で分かりやすい例を出すと、間取りの変化が挙げられます。昔の農民の家だと四部屋くらいの和室が襖や障子で仕切られてそれぞれ広間や納戸など役割を与えられていました。これはそもそも紙や木のような簡単に手に入るものだけで作っていたことに加えて、親族や地域間の交流が今より活発だったことから、大勢が集まるときは仕切りを外して大部屋として利用することもあったことが理由の一つとして考えられます。対して現在は各部屋はしっかりと壁で仕切られ、木が直接見えるのではなくクロスを貼ってデザインを自由に決めることができるようになっています。このことからまずは海外の住宅文化が流入し定着したことがわかり、昔よりもプライバシーを重視する価値観に変化したことや家族外との関わりが希薄になったことも読み取ることができます。
本博物館では公開している住宅ごとにその指定区分・旧所在地・建物区分・構造形式・建築年代などの基本情報、そこに住んでいた人の生業や地域の環境などがパネルで説明されています。入ってみてパッと浮かんだ印象について、そのパネルで答え合わせをしてみましょう。住宅という誰しも体験したことのある住空間を扱っていることから、より主体的に考えて楽しむことができますよ!
ここで1つ例を出してみます。これは元々富山県南砺市桂にあった旧山田家住宅です。
見た通り一般的な合掌造りですが、右の写真をよく見ると床が異様に高いことに気が付くでしょう。他の地域の農家は段はあってもそこまで高くはないことはここまで建物を巡ってきて気が付いています。現代で床が高いといったら床下を収納として利用する場合だろうか、じゃあこの場合どうしてこんなに高いんだろう、と疑問が浮かびました。
結論から言うと、この床下は火薬の原料となる塩硝を作るための空間だと考えられています。寒い地域であったこの地域では、藩に納めるものは生物よりも加工品の方が好都合でした。そこで塩硝を作ることにしたのですが、幕府に隠れて軍事機密として加賀藩が命じたものであったため、堂々と作ることはできません。そうした結果作業場として選ばれたのが床下だったのです。
このように住宅に対して新しい発見をしていくと、自分と違う文化の生活を理解できると同時に、今自分が暮らしている生活についての理解も深まります。多くの家を相対化しながら、是非鑑賞を楽しんでみて下さい!
(A. Y.)
参考情報
川崎市立日本民家園公式ホームページ
https://www.nihonminkaen.jp/(2023年1月11日閲覧)
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